レイキの始まり
大正時代の初めころ、
「臼井甕男(うすいみかお)」先生が、
「人生の目的とは何か」 という、人類に共通の問題に直面し、それに対する答えを求めていきました。
そしてそれは、『安心立命である』 という認識に到達しますが、その悟りの境地になかなか到達できません。
悩みに悩みぬいて、禅の師に相談したところ、
「それなら一度死んでごらん」 と言われます。
その言葉に絶望感を覚えながら、「死」と向き合うため、京都の鞍馬山で断食瞑想に入ります。
そしてその21日目に、脳の中心部あたりに落雷をうけたような激烈な衝撃を感じて意識を失い、数時間後、ふと心身爽快な気分に満ちて目覚めた時、自分の手足が光って見え、宇宙との一体感を感じたそうです。
こうして悟りの境地に達するとともに、その時に実は
「癒しの力(霊気:レイキ)」 をも感得していると気づき、
「この癒しの能力を多くの人と分かち合いたい」、
「この力を自分だけで独占すべきではない」
と考え、その伝授方法を見出し、大正11年 【 臼井霊気療法学会 】を設立します。
そこで 多くの心身を病める人々を霊気(レイキ)でもって救い、会員にはその治療能力を与え、レイキにて単なる治療の能力を高めることだけを目標とせず、
「自己の心身の練磨向上を図りながら、自他の健康保持と家庭・社会・国家・世界の平和と繁栄と幸福を増進させること」
をモットーに活動を行い、次第にレイキは日本中に広がりを見せます。
関東大震災の際も、臼井レイキは大変に役立ち 多くの人々を助けますが、
臼井先生亡き後、戦後の日本では、限られた人間の間でのみ受けつがれるモノとなり、
徐々に影をひそめていきました。
ですがその後、歴史をつなぐ人物が登場します。
それは、臼井先生が、すべての内容を教えることのできる資格である「師範(「神秘伝」ともいう)」を与えた20人のうちの一人である 「林 忠次郎先生」が、重病の治療を行い、さらに「霊気伝授」を行った、ハワイ在住日系人の「高田 ハワヨ(たかたはわよ)」さんです。
彼女の働きで レイキはアメリカに伝わり、さらに改良され、
「西洋レイキ」 となって、1984年ごろ、再びレイキはここ日本へ帰還します。
現在は、
臼井レイキ、
西洋レイキ、
伝統式レイキ(臼井霊気療法学会)、
直伝霊気
など、いくつもの呼び名があり、私 Norico は、純粋な 伝統式レイキ(臼井霊気療法学会)や直伝霊気だけを伝授いただいたのではなく、おおよそ70%近く西洋レイキの術式が含まれた臼井レイキを伝授いただき身に付けています。
各派閥やいくつもの呼び名が存在していますが、根本的には、臼井甕男先生を創始者とし、4つのシンボルとマントラを使用するレイキは、一般に、
臼井レイキ、 または 臼井式レイキ と言います。

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